よく聞かれる質問

Q. あなたは何党なのですか?

A.
保守系の無所属ですが、生活者の目線で政治を改革すべきと考えています。

Q. 議員になって何をしたいのですか?

A. 一言で言えば、『尼崎を変えたい』ということですが、具体的に言うと、
●商工業の活性化(特に、中小商業の疲弊が著しい)
●市役所・議会の改革(役所・議会に民間の常識を、縦割り・前例踏襲の打破)
●尼崎で生まれた事をどこででも、誰にでも自慢ができるまちづくり
●市民活動を繋ぎ、育てて民間活力の溢れるまちづくり
●地域に伝わる歴史・文化を守る
●社会的弱者が自立できる仕組みづくり
●尼崎で子育てがしたくなる環境づくり(教育環境、子育て支援)


Q.何故、議員になろうと思ったのですか?

A.これは随分と長くなって申し訳ないのですが、
一つ目のきっかけは、平成4年頃から商店街の活性化に取り組み、
商店街振興組合の理事長を平成13年から務めた事です。
平成2年にサラリーマンを辞め、家業のカメラ店を継いだのですが、
当初は自分の商売の事ばかり考えていました。

その後、店を流行らせようと思えば商店街を流行らせなければいけない、
という先輩の誘いが
あり、いくつもある商店街組合を横断的に組織する若手商業者の集まりである
『元気街グループ』に入り、商店街の活性化に取り組んだのです。
必然的に行政とのお付き合いが始まりましたが、他地域や他業種に比べて
圧倒的に政治力のない自分たちの地域の実情を目の当たりにして、
一体何故なんだろう?と考えました。

地域活性化に商売もそっちのけで、
『尼崎中央・三和・出屋敷まちづくり協議会』
や、『元気街グループ』の活動に没頭し、協議会の議論の中から地域を挙げて
まちづくりをする
『尼崎中央・三和・出屋敷まちづくり株式会社(現TMO尼崎)
を立ち上げ、その取締役になり、
その後商店街振興組合の理事長になった時に、ふと気付いたのです。
『商店街を活性化するためには、まず地域を活性化しなければいけないのだ。』
と思い至ったのです。

その後、私の関心は商店街活性化から地域活性化へと広がっていったのです。

二つ目のきっかけは白井 文市長との出会いがあったからです。
とは言え、私は平成5年の尼崎市議会カラ出張に伴う出直し選挙の時、
立候補した白井さんと出会って以来、一環して白井さんを応援してきました。

白井さんが13前にカラ出張のテレビニュースを見ていて
『許せない、私が立候補する!』
と決意し、直ぐに実家に電話し、立候補の決意を聞いたお母さんが、
『そう、私もニュースを見ていたわよ。あなた頑張りなさい』

と言った話を聞いて、何と素っ頓狂な母子、と笑ったものです。

平成14年、白井さんが市長に立候補し、一般の予想を覆して初当選した時、
『これで尼崎市は変わる』と期待を持ちました。
しかしながらその後、議会との確執が伝えられ、議会を傍聴するに及んで、
遅ればせながら、
『これは本当に許せない!』と実感したのです。

市長は勿論市民の代表でありますが、二元代表制の地方自治体においては、
一方で市議会議員もやはり市民の代表なのです。

議会の傍聴席から
『一体、誰がこんな議員を選んだんや!?』
と考えた時、選んだのは市民である、という事に気がついたのです。

市役所に対して文句を言うのなら、政治に対して文句を言うのなら、
税金の使い道について物を申すなら、民主主義のルールに則り、
政治によって正々堂々と戦うべきだ、と言うことに気付いたのです。


三つ目の直接的なきっかけは、商店街地元の長老議員始め3名が亡くなられ、
その他にも欠員や引退される方がおり、平成17年に行われる市議会議員選挙
では10議席以上が入れ替わるという事が判明したことです。

最後の駄目押しは、選挙1年前の平成16年に、白井市長に相談した時です。
『市会議員って、仕事しながらでも出来るのかな?』
と聞く私に、
『市議会議員は非常勤の公務員だから、制度上の問題はないし、私も仕事して
いたでしょ?他にも兼職している人はいるわよ。忙しいのは議会の時だけだから、
大丈夫よ!』

と、いともカンタンに言ってくれたので、
『そうか、それなら白井さんの応援に駆け付けようか!』
と、簡単に決断してしまったのです。
(その時、白井さんは多分冗談だと思ったでしょうけれど)
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